ふりだしにもどる

麦茶を飲んだ話。

私は幼い頃から麦茶というものを飲み続けてきた。

 

私は、社宅に住んでいたことがある。小さくて古臭くい。これといった特徴もなく現代的とは言えなかったが人間が生活するには十分な場所であった。

幼い私はそこから幼稚園に通っていた。

幼稚園には仲の良い友達がいた。その頃に彼女とした会話など殆ど記憶にないのだが、彼女とはずっと仲が良かった。

彼女は麦茶が飲めなかった。私も麦茶がそこまで好きではなかったのだが彼女と差をつけたいがために麦茶を飲みまくった。

 

幼稚園の麦茶はやかんに入って私達園児のもとに運ばれてくる。苦くて甘くて、飲んだ後に鼻を変な匂いが突き抜けていく。まずい。まずいこれ。

でも彼女と差をつけるには麦茶を飲むしかない。そう思った私は麦茶をおかわりした。

 

そんなことを繰り返していくうちに麦茶の中から美味しさを見出せるようになった。ほのかな甘み、優しい味。気づいたら私は麦茶を好きになっていた。そうかこれが大人になるということか。私はそんなことを考えていた。

そして家でも好んで麦茶を飲むようになり、市販の甘い麦茶をごくごく飲んでいた。味わう暇もなく喉を通っていく麦茶。その後味。何もかもが完璧だった。

 

ここで、私の麦茶史を揺るがすような大事件がおこるのだ。その事件は社宅で起こった。社宅には一つ大きなテーブルがあった。椅子にはまだ幼い弟が座っている。私はそれをなんとなく遠くから眺めていたのだ。テーブルの上には麦茶。そして牛乳。幼い弟はあろうことか麦茶と牛乳を無造作に混ぜ始めた。彼はそれを飲み、笑みを浮かべた。

私は動揺した。その時初めて生理的恐怖を覚えた。だが私がその時感じた恐怖はどうやら麦茶に対するものではなく牛乳に対するものだった。麦茶をめちゃくちゃにしやがって。牛乳なんて飲んでやるか。というものだ。

 

そしてそこから小学校5年生まで麦茶を飲み続けた。では小学校5年生で何があったのか。私は麦茶飲むと食事と組み合わせてもおかしと組み合わせても最終的に麦茶の風味になる。ということに気づいてしまい、そこからもったいないという意識で麦茶を飲まなくなった。

そして今の今まで麦茶を飲んでいなかった。

 

それが今日、麦茶を飲んだ。私が感じていたほのかな甘みや、優しい味などはなかった。私が感じたのは初めて麦茶を飲んだ時に感じた歪に混ざり合う甘みやにがみ、鼻を突き抜けるあの感じだった。